9〜12月の祈りの3ヶ月を終え、
3.11震災後初めての冬を迎えています。
冬は「新生の春」へ向けての準備の時。
新しいいのちの胎動が聞こえます。
天野泰司
新しい生命の座
ここ数日、素晴らしい夜空が広がっています。
12/10の皆既月食をご覧になった方も多いことでしょう。
凛と澄み渡った空気、キラキラとした星の輝き、
遠くどこまでも続く夜空、
その中にぽっかりと浮かぶまんまるの月は、まるで鏡のよう。
はっきりとした黄色の光が少しずつ欠けていき、
ほんのりと赤みがかかったやわらかな光の中に、
月そのものの姿が現れてきました。
いつも見ている鏡のような月ではなく、
まあるくて、すごくおちついていて、
ただ月としてそこに浮かんでいました。
素のままに戻るというのはこんな感じなのかもしれません。
外に出て、しばらくその月を眺めていました。
ちようど同じ日の午後に、
韓国の舞踊家金梅子(キムメジャ)さんの公演が
京都造形芸術大学のホール春秋座でありました。
私たちは気功協会の事務所から徒歩5分の至近距離なのですが、
札幌の三上さん、東京の鳥飼さん、福岡から新部さんなど、
気功関係の友人が各地から集っていて、とても嬉しくなりました。
もちろん4部構成の公演の内容も素晴らしいものでした。
踊り手は若手から白髪の混じった方まで年齢の幅がかなりありましたが、
年齢差というものを感じさせない、
するすると滑らかに続いていく舞台でした。
見せる工夫は随所にあるけれど、動きそのものが自然で無理がない。
特に金梅子さんの踊りは徹底的に無駄が省かれていて、
見ているだけで体の中が一緒に動いてしまいます。
公演の後のアフタートークで
釜山大学教授のチェ・ヒワンさんがこんな感想を述べていました。
「今回の京都公演は、韓国でのいつもの公演と比べて
より神聖さがあり、天とつながる感じは少なかった。
これは劇場のせいかもしれない」と。
確かに劇場の立地自体は瓜生山の麓で、自然に囲まれてはいますが、
歌舞伎公演もできる落ち着いた和風のホールなので、
のびのびとした大自然とつながる感じは少なかったのでしょう。
そんな中、
体そのものからほとばしり出る神聖さがより強く感じられたのは、
月食というタイミングも関係していたのかもしれません。
舞台作品を観た感動というより、
奉納の舞に立ち会ったような、
ありがたさに満ちた心がしばらく続き、深夜の月食を迎えました。
翌日12/11は、震災から9ヶ月の区切り、
9/11から続けてきた「祈りの三ヶ月」の最終日で、
朝日カルチャーセンターでの今年最後の講座がある日でした。
街中は年末ムードですが、
気功の学校の卒業式も12/4に修了していて、
何か一つ超えて、もう新年のような印象があります。
何かが切り替わり新しくなった感じ。
意志を越えて自ら動き出そうとする
生命の胎動のようなものを感じます。
震災を乗り越えて
2011年は災害の多い年でした。
地震、津波、原発事故、風水害…、
たくさんの尊い命が失われ、
今なお苦しんでいる人がいる状況に心が痛みます。
そして、その大きな犠牲を経て、
私たちの生き方、生活のあり方が変わろうとしています。
節電や、エコロジカルな暮らしももちろんですが、
それ以前に「心をどこに向けるか」が変わり始めています。
ここで「心」と言っているのは潜在意識を含む心の全体で、
意識はそのほんの小さな一部分です。
私たち人類は、
幸福な未来を思い描いて努力を重ねてきました。
その結果が今です。
確かに素晴らしく便利なものがたくさんできたけれども、
今が幸せだと感じて生活している人がどれだけいるでしょうか。
人類の幸福というものに何千年かけてもたどりつけていないのです。
この状況は、
どこかで根っこの部分から切り替わっていくでしょう。
それが今このタイミングだと思うのです。
私が提案するのはとても簡単なことです。
それは「心を幸福に向ける」ということ。
今までなぜそれができなかったかというと、
意識で縛り付けようとすればするほど、
心は別の方向に向かっていくからです。
誰もがそのことには気付いていて、
何だかうまくいかないと感じながらも、
延々と同じ意識的な努力を繰り返してきたのだと思います。
私は気功を続けてきて、本当に良かったと思います。
気功の中には努力ということのちょうど反対側にある道が
明確に示されています。
それを体で実践して納得し、
生活に応用して確かめ、
「気功の学校」のレッスンの中で
皆さんと一緒になって実験を重ねながら、
こうではないかと思っていたものがいつしか確信に変わり、
さらに普遍的な広がりを感じるようになりました。
不満足からの離陸
どんな困難の中にも、
よく探していくとわずかな幸せはあるものです。
どんなに痛みや苦しみが大きくても、
よく味わってみると楽になっていく気持ちのよい方向がみつかるものです。
だから、いつも心が幸せの方向に向かうように
アンテナを立てておくのです。
物欲は、もっともっととエスカレートしていきます。
それは無意識に
「まだ足りない」という心の習慣を作っているからです。
これが手に入れば幸せだろうと幸せを追いかけることと、
幸せそのものを味わうことは本質的に違うのです。
物欲は「不満足」、幸せは「満足」の習慣ですから、
似ているように見えて正反対なのです。
「不満足」を習慣にしていれば、
不満足であることが日々当たり前になっていきますね。
だからどこまでいっても満ち足りない。
そういう矛盾が現代の混乱を招いているので、
その根本のところを変えていく必要があるわけです。
満足ばかりしていたら発展がないと思う方があるかもしれません。
確かに物質的な発展は身の丈に合わせてゆっくりになるかもしれませんが、
文化や生活、そして心の豊かさは次々と発展していきます。
そして、そこから開けていくのは豊かさの連鎖と共有です。
他人を攻撃したり、何かを奪おうとするのは不満の現れです。
幸せに包まれている人は、
その幸せを分かち合うことで次々と幸せがふくらんでいくことを知ります。
自分の幸せだけでなく、他の誰かの幸せも感じることができたら、
より幸せですね。
「誰かが喜んでくれる」幸福感は、
足し算ではなく、かけ算のようにしてふくらんでいきます。
恋人が喜ぶとなぜこんなに嬉しいのか、
子どもが笑うとなんでこんなに楽しいのか、
仕組みは判りませんが、
人が人として生きていく本能のようなものでしょう。
仏教では「慈悲」と言いますが、元々誰にも備わっているもので、
お互いの心の振動が響き合って、ぽっと心が熱くなる。
何かじ〜んと感じるものがある。
心の奥深くにじんわりとしみこみ、しっかり満足する。
これが幸福の連鎖です。
不満足の習慣を続けていると、
人の幸せを妬むような心が生じてきて、
不満足の連鎖と共有が始まっていきます。
それは意識以前の無意識の働きなので、
意識ではそんなことはいけないと判っていても、
実際に幸せな人を見ると、ついうらやましく感じて不満が高まり、
不満の不協和音を周囲に拡散してしまいます。
そこでまず、体から入っていきます。
体が気持ちがいいと感じることを見つけて、習慣にしていくのです。
それは気功に限りません。何でもいいのです。
気功は幸せの習慣
2012年は、「幸せの習慣」を
みなさんと共に積み重ねていきたいと思います。
体をなでたり、ゆっくり息を吐いたり、
目を閉じて心を落ち着けたりするだけで、
ふっと体が楽になったり、心がすっきりしたり、
ありがたくて幸せな感じに包まれたりします。
そうして心地よさを味わうことを毎日の習慣にしてしまうのです。
毎朝歯磨きをしたり、「おはよう」と挨拶したりするように、
習慣は続けているとあたりまえのことになります。
だから、気功という「幸せの習慣」を続けていくと、
幸せが泉のようにいつもこんこんと湧きでているようになり、
自然災害などの大きな困難に直面した時にも
そこからの回復がスムーズになるでしょう。
できるだけ簡単で、楽しんで続けられて、
深まりがあることがいいですね。
そうしたものを私は改めて「気功」と呼んでいるのです。
でもそれが重たくなり、
何らかの手かせ足かせになるようだったら
もうそれは気功ではありません。
そうして、洗練されて残っていったものが
気功協会が今取り組んでいる気功で、
「心がおちつく やさしい気功」は
その中でもとても気功らしい気功です。
ゆっくり広がっていきながら、
たくさんの人の本当の役に立っていくことでしょう。
まず自分自身から、
そしてその気持ちよさが周りにも伝わっていくように、
ゆっくり、そしてやわらかに
「幸せの習慣」を広げていきましょう。
天野泰司
2011年12月20日
春に向かって
posted by あまの&じゅんこ at 14:52| Comment(0)
| てあての心で
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